みなさま、こんにちは。
昨日、お買い物の後、ダンナさまと一緒にソファでゴロンとしていました。
突然、涙を流す私。
ついには号泣。
どうしたの?とあせるダンナさま。
結婚したら何が待ち構えているでしょうか?
それは、家事。
一人暮らしのときも、家事は毎日やっていました。
だけど、2人になったときの家事は2倍。
また、きままにやれるわけではありません。
それは、毎日、毎日、続くわけです。
汚れたら、きれいにする。
また汚れたら、きれいにする。
毎日、献立を考える。
毎日、パートナーのお弁当を作る。
同じことの繰り返しです。
家族が増えるとそれはまた倍になるでしょう。
けれども、母親は、毎日これをやってくれていたわけです。
「母親だからやってくれて当たり前」
「家事は私の仕事ではない」
「家事など誰にでもできる仕事、ほかの仕事で活躍しているほうがよっぽど立派」
私はこう思っていました。
でも、自分がやってみて、そうではなかったと感じました。
母親は、自分の時間のほとんどを家事に注いだわけです。
毎日、重い洗濯物を運び、毎日ほして、たたんで。
毎日、ごはんを作って。
毎日食器を洗って。
毎日お風呂掃除をして。
私は、自分の傲慢さが、情けなくなって、号泣したのです。
母親は、ほかの選択をすることだってできたはず。
家事を放棄することだってできたはず。
いわゆる、きちんとした普通の暮らしは、この「家事」なくして、ちゃんと暮らせないわけです。
毎日、同じことを繰り返す根気もないくせに、ほかの仕事がやれるわけがない。
私は、自分にそうつぶやきました。
会社を退職してから、なんとなく「主婦」の自分に肩身のせまさを感じていました。
ほかの仕事をして輝いてる女性がうらやましい、といった気になったり。
結局、私は、「主婦」を馬鹿にしていたわけです。
けれども、「主婦」は、きちんとした暮らしを実現させるプロフェッショナルなのです。
「結婚は生活」とよくいいます。
このことじゃないか、と私は思います。
きちんとした暮らしを実現させるためには、「愛」なくしてできません。
周りが、そして自分が心地よく暮らせるように、毎日淡々と同じことをやる。
「家事」は、私の立派な仕事です。
この仕事が、すべてに通じます。
コメントを残す