母の背中の思い出。


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こんにちは^^

こちらは気持ちのよい快晴です。

娘も今日で8ヶ月。

ふと娘を産んで入院中の日々のことを思い出しました。

プラスチックケースの中にいるまだ目も開いていない3000gのちいさな赤い人間。

細い足。細い腕。小さな指。

それは、娘。

出産直後は、母乳もすぐには出ず、娘は泣いてばかりいました。

自分自身も、まだまだ母になった実感も伴わず、

自分の中から出てきた、この小さな命に戸惑う入院の日々。

そんな中、私の母が毎日、着替えや洗い物などをとりにやってきてくれました。

時々、母の好きなおやつを入院室で一緒に食べました。

母が帰宅する頃、なんとなく寂しくて、

廊下を歩いていく母の背中を目で追いました。

出産後は、産褥期といって、安静にする必要があります。

久しぶりに母に甘えられるその期間を密かにうれしく思いました。

(が、現実は、母も仕事で忙しく、父や姉にお世話になったのですが^^;)

自分が母親になってみて思うこと。

親は、子供の世話をみるのも、甘えられるのも、本当はなんとも思っていないし、

当たり前と思っている、あるいは、うれしいと思っているということ。

私は、一度、母に

「お母さん、自分にかけれたお金や時間を私のためにつかってくれて・・・

ありがとう。そして、迷惑もかけてごめんね」

と言いました。

すると、母は

「別に。あなたを育てるためにかかったお金や時間を、損だとか迷惑と思ったことはないよ。」

私も、きっと娘にそう思うだろうし、そう思っている。

母に対して抱いた色々な思いは、自分があまりにも子供だったからだと思う。

子供の世界では、母が太陽で、兄弟姉妹は、ライバル。

子供は遠慮することなく、当たり前のように、母を「独占」し「使う」。

このような子供思考だと、自分が大きくなると、それに応じて、自分が愛する人、

あるいは自分を愛する人は「母」になり、「母」のようでないとき自分を苦しめる。

他人は、「母」のようにはいかないのだから。

そして、自分は「母」のように扱われたくない。

あるいは、「母」のようになりたくない。

あくまで、与えるのは「母」。

あまりにも子供をやりすぎているので自分が動くとか、与えるということなど思いもつかない。

自分が親という与える側になって、甘えられても、迷惑をかけられても、世話をさせられても

大丈夫と思える立場になりました。

純粋に、100%、私を必要としてくれる娘を愛しいと思います。

そして、いつでも思いをよせれる心強い母の存在があることをありがたく思います。


11月29日 土曜日のお茶会

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2015年、スッキリ、キックオフ!

今日も最後までお読みくださりありがとうございますベル

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古賀幸華

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