みなさま、こんにちは
婚活コンセルジュ古賀幸華です。
青空にうすいピンクの桜が映えますね。


さて、今日は、私が実家を出て上京した理由を書きたいと思います。
昨日の記事の続きです。
ちょっと、恥ずかしい過去ですが・・・お付き合いくださいませ。
私は29歳まで、長崎の実家にいました。
大学も長崎。
卒業後、勤務先も長崎の会社。
バス1本でどこでも通える。
バスからの眺めは、毎日同じ。
でも、心の中で、いつまで私はこの風景を見るのだろう?
このまま、長崎で私は自分を終わらせるのだろうか?
そんなことを、ぼんやりと考えていました。
実家にいると、家事は全て母親がやってくれました。
手伝うのも気が向いたときだけ。
帰って、既に用意された夕飯を当たり前のように食べて、テレビを見たら、趣味の世界に入って、時間になったら、既に用意されたお風呂に入って、布団で寝る。
朝起きると、当然のように、用意された朝ごはんを食べ、用意された弁当を持っていき、会社に出勤するのでした。
行き先が「学校」から、「会社」に変わっただけでした。
私は、だんだんと空しさに襲われました。
生きているのに、生きている実感がしない。
「度がすぎると毒になる」
私は、当たり前の楽な生活を送っている内に、自分の「本能」で生きることをすっかり忘れていたのでした。
私は、29歳の時、上京することをついに決意しました。
このまま家にいると、自分はダメになる。
だからといって、就職先が東京にあるわけでもありません。
気づいたら、布団の中で生汗をかいていました。
翻訳学校に行くことを建前の理由にして、実家を出ました。
そして、私は、世間のお作法を知っていくことになります。
アパートを借りるにも、敷金礼金がかかる。
アパートを無事に借りても、家具や家電製品が必要。
料理も自分で、もちろん作らなければいけない。
掃除も、洗濯も、もちろん、自分で。
最初は、シェアハウスで暮らし始めました。
楽しい仲間ができました。
「楽」ではない、「楽しさ」が、そこにはありました。
辛いな、と感じたこともありますが、辛いと感じるときこそ、私はなぜか頑張ることができました。
実家にいたきよりも、自分は強くなったと思いました。
私は、結局、全て嫌なことを親や姉妹に押し付け、自分は「楽」をしているつもりでした。
その「楽」が、いつの間にか、自分で自分の首を絞めていたなんて。
興味のないこと、苦手なこと、嫌なことは最初からしない。
自分の気持ちを犠牲にして我慢してまで、イヤなことはしない。
そんなことを無理にでもやらされるものなら、「やらされているかわいそうな自分」という被害者意識につかっていました。
本当は、自分の未来の可能性を犠牲にしているというのに。
視野の狭い子供心は、自分の未来の可能性なんかそっちのけで、そのときの自分の不愉快な気持ちだけに集中してしまうのです。
自由のやりたいことが好きなようにできるのは、本当の大人になったとき。
経済的、精神的自立を得たとき、やりたいことだけする、嫌なことはしない、ということさえ、最初から自分で責任をもって選べるのだと私は思います。
実家を出て時が過ぎましたが、後悔することはありません。
むしろ、親に感謝する気持ちが強くなりました。
実家にいたころは、余計なことで頭を悩ませていたと思います。
自分は、生きるための基本的なこともせず、また知らず、
でも自分を守ることで一生懸命で、それで苦しんで一生懸命生きているような気になっている。
要は、暇なのです。
やるべきことや基本的なことをやっていないから、頭が暇で、嫌なことなどをリピートして考えている状態。
そんなもの、生きているとはいえませんでした。
何もないところから、積み上げる喜びは、生きているからこそ。
私は、幸い、同じ九州出身の男性と、思考した通り、結婚することができました。
彼と結婚しようと決めた理由は、
「素晴らしい思考の持ち主。この人と一緒に人生を積み上げていきたい。」
婚活でも苦労した私ですが、苦労して自分が手に入れたものは、かけがえのないものです。
実家を出て、私は、多くの宝を手に入れました。
たくさんの経験、友人、お世話になった方々・・・
でも、その宝を手に入れるために、両親は私に全ての可能性を最初から与え、また育ててくれていたのですね☆
今日も最後までお読みくださってありがとうございます
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