未来の花嫁様、聞いてください。
昨日、母親と電話で話をしていたんです。
話は、私の近況、結婚準備、たわいもないことなどでした。
母親とは1時間以上は平気で話します。
21時を過ぎても、22時を過ぎても、父親の気配を感じました。
時々、父親の声が聞こえたからです。
まだ起きている
21時になったら、すぐ寝る父がめずらしく起きている。
どうやら、私と母の会話をだまって、そばで聞いていたようでした
私の様子が気になるのでしょう。
会話が終わるころ、父親は寝に行きました。
父の地味で深い愛情を感じた瞬間でした。
子供のころは、父親のこういう「地味」で「地道」なところがキライ、というかバカにしていました。
誰にも文句も言わず、黙々と働く姿をバカにしていました。
ところが、大人になった自分はどうでしょう?
父親のバカにしていた点さえ、ろくにできていない。
父親の「地味」で「地道」なところは、偉大な愛情だと今さら気づきました。
結納の時、父は、ビシッと役を務めてくれました。
図書館で本を借りて、結納時の決まり文句をしっかり覚えていたのです。
夫が家に挨拶に初めて来たとき、父親はテレビを見ながら顔をそむけて、頭をかきながら、彼の私に対する思いを聞いていました。
私がそのことを彼に愚痴ると、
「幸華はわかってないなあ、あれは照れてたんだよ。耳がピクピクしてたもん(笑)」
地味な愛情表現の父のもとで育って思うこと・・・・
愛は、日頃、地味すぎて、当たり前にあるので、そして当たり前すぎて気づかないものなのかもしれません。
幼いころは、派手なものについ目が行きます。
ディズニーランドでいうと、ミッキーやミニーに目が行きます。
でも、夢と魔法の国ディズニーランドを本当に支えているのは・・・
地味に掃除をするスタッフさんじゃないかと思います。
御客様の落としたゴミも、黙々と拾っていくスタッフさん。
そして、御客様から直接、ありがとうと言われることさえ、求めてもいません。
愛は地味だからこそ、愛なのかもしれません。
人生の節目節目に同席するのは家族です。
そのとき、改めて、当たり前のようにいた家族への感謝の気持ちがわきあがりました。
・・・結婚式、私、泣くだろうなあ・・・
でも、メイクさん、かなりすごい人らしいし、泣かないようにしよう。
幼いころの貴女が嫌っていた父親像、本当ですか?
一度疑ってみたらどうでしょうか?
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