みなさま、こんにちは
今日の記事は読まないほうがいいかもしれません。
だけど、嫌われるのを覚悟で書きます。
婚活は、ある意味、一大イベントですよね
一緒にいて、自分らしくいられる人は、そうそういないのですから
どうしたら、そんな人に出会えるのだろう?
私もそのようなことを思っていました。
そして、自分磨きを始めるわけです。
もともと、学び好きなので、色々なセミナーに参加してみたり。
自分を好きになれと言われたら、好きになってみたり(笑)
自分の幸せのためなら、素直になりました(笑)
磨いて、楽しんで、キャピキャピある意味、ギラギラして、女子力バリバリでした。
でもね、傲慢だったんですよね。
ものすごく傲慢。
そして、ものすごく怠慢。
実家で、いい歳までいて、親の手伝いなんて、たま~にしかしていませんでした。
家に入れるお金もわずか。
家事は母親がして、当たり前と思っていました。
お風呂掃除はしないけど、自分の身はきれいに着飾ったり。
だけど、さすがに20代も最後に近づいたとき、なんだかこのままだと自分がだめになりそう、と予知?して、上京したわけです。
そして、世間の荒波にもまれまくりました(笑)
(荒波は、今思えば「愛」でした)
それで、自分はエライと感じました。
自分は「立派に自立」していると。
仕送りまでしている私はエライ、ドーダ見たか、みたいな。
おおげさな言葉でいえば、親に対する復讐です。
そして、まるで自分の怠慢さをごまかすかのように、親の現実を下げました。
なぜ、20代の終わりに家を出たのか・・・
それは、生きていても、何か達成感なり、充実感なりなかったからです。
会社へ行って社会人のフリしていても、なんとなく、学校の延長のような・・・
だから、「自分探し」の旅をしたわけです。
だけど、自分探しなんて、今の私に言わせれば、怠慢中の怠慢
自分探しをする前に、自分で立つこともできないときから、親に食わせて、育ててもらっていたわけです。
それで、ある日、思いついたかのように、「自分は何者か」と言いだす。
心の「スキマ」を埋めるように、何かに頼りだす。
占いとか、エンジェルだとか。
それで、お金を使って色々なことを学び出す。
愛されるためのセミナー、愛とは何か、てきな。
そして、自分がピュアな人間になったつもりになる
だけど、その心の「スキマ」はそもそも、どこから来たのか?
結局、怠慢なんです。
やるべきことをやらなかった。
親の言うことを聞かなかった。
手伝いを全くしなかった。
親の言うことを聞き流して、いいとこどりして、表面だけを見て生きていた。
普通の健全な生活を営むためには、毎日の掃除、洗濯、料理は欠かせません。
そのほか、気付いたことは、すぐにやるとか。
怠慢は、とても小さな思考からムクムク育って、やがて、色々な勘違い(子供の視野はせまいため)がからみにからんで、大人になるほど、大きなトラブルを作りだします。
あな、恐ろしや。
その「生活の基盤」を無視したために、「心のスキマ」という立派な大義名分を作って、トラブルを作っていました。
穴を掘っていたんですね。
地道に、自分のことを自分でやっていたら、そんな「心のスキマ」なんてできません。
そして、そんな暇はないでしょう。
私は、結婚して、ますます、そんなことに気付きました。
正直、家事が面倒と思うときもあります。
だけど、この家事が自分に自信をつけていることも事実です。
そして、親の大変さが身にしみてわかるのです。
親は正しかった。
結婚して、落ち着いて、より目の前の現実に目を向けることができました。
もう「自分探し」は終わりです。
自分探しの行きつくところは、実は自分の原点に戻るんです。
それは、親や兄弟です。
遠いものは拡大して自分よりも偉大だと思えます。
だけど、その拡大したもののエッセンスは、常に自分発信。
その自分を最も濃く映している人は、親や兄弟なのですから。
婚活という一大イベント、実は、特別なことなどしなくても、自分で自分のことをきちんと毎日していたら、そして、親に謝罪し、また尊敬し、結婚に対して、心底本気になったとき、良縁そして、それ以上のものを授かる、そう私は思っています。
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