めずらしく、昨日は夫に噛み付いた。
「いいなあ。あなたは自由で。
自由にどこにでも出かけられるし、
自由にテレビも見れるし、好きなときにそうやって寝られるし。
好きなときに本も読めるし。」
8キロ近くある我が子をおんぶしながら家事をしたり、
平日はほぼ自分だけで娘を見ている。
お風呂も私が入れる。
夜更かしもできない。
食事も一人で自由に食べられるわけではない。
どこかに行きたいと思ってもまず預け先を考えなければいけない。
そんな中でいわゆるストレスと不満がたまっていた。
娘は、そんなに手のかかる子供ではない。
それなのに。
「ごめんね!
でも、私だってこのストレスをどうしたらいいのかわからないんだよっ」
そう吐き捨てた。
こんなときは、セルフカウンセリング。
どうやら、私は不自由でいることにものすごくストレスを感じているらしい。
そして、夫をうらやんでいる。
自由気ままにしているように思えて。
そう、思えて。
勝手に、そう妄想。
夫は夫で、平日は、ベッドで寝ることが少ない。
そんな激務だからこそ、休日は、ぐったり気が抜けたように寝ている。
テレビも自分の心身や仕事のためになるテレビを見ている。
普段は、そういったことを理解していて、それを不満に思うこともなかった。
でも、なぜか昨日は、そういった姿が「自由きまま」に見えて
悔しかったのだ。
おもむろにペンを取り出し、「夫にしてもらったこと、してもらっていること」と
私のそれをノートに書き出す。
夫にしてもらっていることは、一気に10以上は書けた。
ところが私が夫のためにしていることって・・・書けて4つ
しかもそのほぼ全てが、自分にとっても利益になること^^;
「夫にしてもらったこと、してもらっていることリスト」には、
夫の利益になるようなことはほぼない。
夫は、決して、自由きままな人間ではなかった。
夫の偉大さを感じると共に、かなり反省。
娘にも悪いと感じた。
「自由きまま」だったのは、まさにこの私。
かなりのエゴイスト。
私は、まだ「自由きまま」を卒業できていなかった。
子供ができる前の私は、それこそ、思いつくまま、ひらめくまま、
自由きままに色々なことができていた。
でも子供ができてからは、「自由きまま」ではない。
でも、本当に自由きままがいいの?
もう一人の私が問う。
ふらふらと自由きままにしていて、得られたものや積み上げたものは少ないのでは?
本当の自由は、選べる自由じゃないの?
本当にほしいものが得られる自由じゃないの?
決めて動いた時間のほうが有意義だったのでは?
ふらふらと自由きままに過ごす自分と、選べる自由を得ている自分を想像したとき、
後者が断然いい。
今度こそ、自由気ままを捨てる決意をした。
そして、もう一人の私がハッとする。
そうだ、私は子育てができる自由を、今まさに得ているんだ。
夫のおかげで、十分にそして安心して子育てができる環境がある。
そして、制約されていない自由な時間は、夫より、私のほうがはるかに多い。
私は、時間に関しては、自由だ。
今の大変な部分しか見えていなかったけど、
娘も成長し、そのうち手を放れる。
この6ヶ月だって、あっという間だった。
きっとこれからもあっとう間だろう。
娘との時間を後悔したくない。
夫は自由気ままに過ごしていたのではなく、
自分の自由の質を限られた時間の中で高めていた。
私も一人ではない不自由さを感じるばかりではなく、
子供といるからこそ得られる自由を高めたい。
今日も最後までお読みくださりありがとうございます
ご縁のあるあなたのお役にたてることを心から願っています。
あなたの長い人生のほんのひとときを、一緒に真剣に伴走し、
幸せの一助になれたら、幸いです。

ハッピーマリッジコンシェルジュ
古賀幸華
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